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2023年11月2日

タイガーウッズの生い立ちに迫る

美しいショットの数々で、世界のゴルフファンを魅了した、言わずと知れた伝説のゴルファー、タイガー・ウッズ生涯年収は約1830億円と言われ、アメリカ史上最も成功した現役で活躍するスポーツ選手である。

彼ほどゴルフ界に多大な影響を与えてきたプレーヤーは存在しないと言っても過言ではないだろう。

今回はそんなタイガー・ウッズの人生を振り返っていきます。

 

タイガー・ウッズは1975年12月30日、アメリカ、カリフォルニア州サイプレスで生まれました。

父親のアールは黒人の米陸軍特殊部隊グリーンベレーの退役軍人で、母親カウンターは華僑系タイ人です。

父親アールの指導を受け、生後9ヶ月からゴルフを始めます。

普通生後9ヶ月といえば、まだ歩くことすら難しいと思いますが、とても信じられません。

2歳の頃には南カリフォルニアで有名な幼児ゴルファーとなり、4歳になると南カリフォルニア、ジュニアゴルフ協会に加盟します。

こちらは4歳8ヶ月のとき、パー3のコースをお母さんと回ったときのもののようです。

4歳にしてパー54のコースを70の16オーバーで回っています。

しかも3番ホールでは人生初のバーディーを決めました。

こちらが当時のスイングです。

これを見ると4歳でバーディーという偉業も納得できますね。

そこからどんどん成長していき5歳の時に100を切り、8歳にもなると70台のスコアが出せるようになりました。

13歳になると全国規模のトーナメントに初出場。

当時はまだプロ入り2年目で無名だった。当時23歳だったジョン・デイリーと同組でラウンドしました。

結局1打差で敗れ2位に終わったものの、残り4ホール時点では2打リードする実力を持っていました。

ジョン・デイリーに対して惜しくも敗れたタイガー・ウッズのコメントが、優勝できなかったのは実力不足だったから、と答えました。

周りの大人たちが子供だからね、惜しかったね、まだまだこれからと言い訳を用意できるようなリアクションをとっている中で、タイガー・ウッズは年齢のせいにはしませんでした。

やはり子供の頃から圧倒的な成績を収めているプロは、子供の頃から考え方がアスリートなのでしょう。

高校を卒業すると、名門スタンフォード大学に進みます。

1992年、日産オープンでPGAツアーに初出場。

アマチュア時代に全米ジュニアアマチュア選手権、全米アマチュア選手権を前人未到の3連覇をするという快挙を達成しました。

この快挙はタイガーズトリプルと呼ばれ、未だに他に達成した人はいません。

1995年マスターズトーナメントに初出場します。

初出場ながら予選を通過し、第3ラウンド日本のジャンボ尾崎選手と同組でラウンドしました。

そして1996年、大学を2年で中退し、8月27日にプロ転向しました。

その2ヶ月後の10月にいきなり2勝を挙げ、世界ランキング33位に大躍進し、周囲を驚かせました。

この1996年がタイガーにとってゴルフや私生活の転換期になったのは間違いないですね。

1997年4月13日、この日タイガーの人生が変わりました。

史上最年少の21歳3ヶ月でマスターズ初優勝を果たします。

大会最多アンダーパー記録を塗り替える通算18アンダーで、2位のトム・カイトに12打差をつける圧倒的な勝利でした。

その後、わずか10ヶ月余りでマスターズを含む7大会で優勝、6月に初の世界ランキング1位になります。

そして21歳にして、PGAツアーの史上最年少賞金王に輝きました。

1999年8月15日、PGA選手権で初優勝します。

これでメジャー2冠を獲得しました。

翌年、2000年には全米オープン、全英オープン、全米プロゴルフ選手権を全て優勝し、3連覇を達成します。

これは1953年のベン・ホーガン以来47年ぶりの快挙でした。

そしてぷがツアーで自己最高の年間9勝を記録。

第1回ロールウス・スポーツ賞の男子最優秀選手賞など、多数のスポーツ賞も受賞しました。

2001年4月8日、マスターズで4年ぶり2度目の優勝。

メジャー大会4連覇を達成するが、2年にまたがる記録であるため、タイガースラムと呼ばれた。

メジャー競技で優勝したアフリカ系アメリカ人選手はタイガーが最初でした。

2002年、マスターズと全米オープンで優勝、マスターズを2連覇しました。

これは1989年&1990年の大会を連覇したニック・ファルド以来12年ぶり、大会史上3人目と快挙でした。

2003年には世界ゴルフ選手権のアクセンチュアマッチプレー選手権で初優勝。

翌年2004年はアクセンチュアマッチプレー選手権を2連覇。

しかし9月7日にそれまで264週連続で守った世界ランキング1位の座を41歳のBJCに譲ってしまいます。

そして私生活では、10月5日にスウェーデン人元モデルのエリン・ノルデグレンと結婚しました。

2005年、マスターズで4度目、全英オープンで2度目の優勝を果たします。

全英オープン優勝により、ダブルグランドスラムを達成しました。

2005年マスターズで、タイガーが放ったこの伝説的なショットが記憶に残っている人も多いでしょう。

カップからかなり離れたところにキャリーしたボールが傾斜に沿って下っていきます。

しかし5月に、バイロンネルソンクラシックで予選落ちを喫し、連続予選通過の歴代1位記録が142で止まってしまいました。

そして不運は続き、2006年5月3日、父親アールが前立腺がんのため74歳で死去。

ショックを受けたタイガーは、6月の全米オープンで予選落ちを喫してしまいます。

これで1997年のマスターズ以来続けてきたメジャー大会の連続予選通過記録が37で止まってしまいました。

しかしここで終わらないのがタイガー・ウッズ。

全英オープンで2年連続3度目の優勝を果たします。

全英オープンでの大会連覇は、1982年と1983年の大会を連覇したトム・ワトソン以来23年ぶりとなる。

8月6日のビュイックオープンも優勝し、30歳7ヶ月でPGAツアー通算50勝を達成します。

そして8月20日、全米プロゴルフ選手権で6年ぶり3度目の優勝を果たします。

メジャー大会12勝目を挙げ、ウォルター・ヘーゲンを抜いて単独2位となりました。

2007年6月に第一子の長女、サム・アレクシス・ウッズが誕生します。

2023年で16歳になります。

そして8月の全米プロゴルフ選手権で2年連続4度目の優勝を果たします。

2008年、アクセンチュアマッチプレー選手権で4年ぶり3度目の優勝。

そしてマスターズでは2位になります。

その直後に2007年の全英オープン前から痛めていた左膝の手術を行いました。

復帰戦となった全米オープンで、ロッコ・ミーディエートとの死闘を繰り広げます。

72ホール+18ホールのプレーオフ、プラス1ホールのサドンデスの計91ホールを制し、32歳6ヶ月でトリプルグランドスラムを達成します。

これで9月は優勝回数も65勝になり、ベン・ホーガンを抜いて単独3位になります。

その後左膝の再手術に踏み切り、残りの試合を全て欠場することとなりました。

2009年2月8日に第2種の長男のチャーリー・アクセル・ウッズが誕生。

2023年で13歳になります。

そしてアクセンチュアマッチプレー選手権で8ヶ月ぶりにツアー復帰し、3月末のアーノルド・パーマー・インビテーショナルで優勝。

同年7月の全英オープンでプロ生活5度目の予選落ちとなったが、その2週間後のビュイックオープン、3週間後のWGCブリヂストンインビテーションで連続優勝を飾り、PGAツアー通算70勝を達成。

その翌週の全米プロゴルフ選手権では2位に終わり5年ぶりのメジャー無冠となるとともに、過去のメジャーで3日目の時点で首位に立っていた場合の勝率は100%だったが、初めて勝利を逃す結果になった。

緩やかですが輝かしい日に陰りが見え始めます。

そして2009年11月、私生活で波乱が起こります。

不倫が発覚し、夫婦げんかがエスカレートして妻がゴルフクラブで殴りかかったため車で逃亡しますが、途中で交通事故を起こして怪我をしてしまいました。

以後、無期限のツアー欠場を表明することとなりました。

この騒動の際に自ら性依存症であることを告白し、関係を持った女性は100人を超えると言います。

妻のエリンさんとは離婚することになり、支払った慰謝料が7億5000万ドル、当時の円換算で約660億円という巨額だったことも話題になりました。

不倫スキャンダルによりツアーを欠場していたが、2010年マスターズより復帰することを2010年3月16日に自身のホームページで表明しました。

2013年プレーヤーズ選手権で優勝するが、その後、腰の怪我で離脱します。

2014年にはついにマスターズの欠場を決断し、その後7月の全英オープンで復帰するも棄権も多くなり、2015年2月のフェニックスオープンで自己最悪の82を喫し、最下位で予選落ち。

さらに翌週のファーマーズ・インシュランス・オープンでも棄権しました。

ワールドゴルフランキングは674位にまで進化することとなってしまいました。

そして私生活でも再び乱れを見せ、2017年には投薬の影響で職務質問中にろれつが回らなくなるなど、運転マナー違反として逮捕されていました。

タイガー・ウッズが使用していた鎮痛剤からは、麻薬性鎮痛薬からはヒドロコドンなど5種類の薬物が検出され、全米のみならず、世界中に衝撃が走りました。

しかしその1年後、2018年から競技に正式復帰します。

ヴァルスパー選手権で2位、プレーヤーズ選手権では11位と大健闘。

全英オープンでは6位と完全復活を印象づけました。

その後、全米プロゴルフ選手権はトップと2打差の2位にまで迫り、ワールドゴルフランキングを26位まで戻しました。

9月24日にはツアー選手権で5年ぶりの優勝を遂げ、ワールドゴルフランキングを13位まで戻しました。

2019年は4月のマスターズで2005年大会以来14年ぶり5度目の優勝を果たします。

米ツアー通算81勝目を挙げ、これでワールドゴルフランキングは6位になり、5年ぶりのトップテン入りを果たしました。

さらに10月、日本の習志野カントリークラブでのZOZOチャンピオンシップでは松山英樹を振り切って米ツアー通算82勝目を挙げ、歴代1位のサムスニードとタイに並ぶこととなり、完全復活した姿を見せてくれました。

タイガーのこれまでの歩みを振り返るとなんとも劇的な復活劇でした。

しかし2021年2月悲惨なニュースが飛び込んできました。アメリカロサンゼルス近郊で自動車事故を起こしてしまいます。

事故当時、制限速度のほぼ倍に当たる最高140キロのスピードで運転していました。

この事故によりタイガーは足を複雑骨折し、ツアー欠場せざるを得ない状況となってしまいました。

脚の手術後、3月に退院すると、長いリハビリの末、12月のエキシビション大会のPNC選手権には息子のチャーリーとタッグを組んで出場

2022年4月、マスターズで508日ぶりにツアー復帰。

アンダー発進後、予選突破も果たし、47位で終えた

5月の全米プロゴルフ選手権にも出場したが、右脚の痛みも影響し、3日目に自己ワーストの「79」を記録して最下位に沈んだ後、棄権した

メジャーでの棄権はアマチュアで出場した1995年「全米オープン」以来のことであった。

同月には新しく始まるLIVゴルフ・インビテーショナルシーズンが話題となったが、ウッズは過去のPGAツアーの歴史を踏まえて否定的なスタンスを示した。LIVゴルフからもたらされた高額な参戦オファーも断った

いかがでしたでしょうか。

今回はタイガー・ウッズの障害について紹介しました。

今後もいろんなプロゴルファーの紹介をしていきますので、是非またニューゲートゴルフの記事を参考にしてみてください。

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